奈良県では宝永地震や伊賀上野地震など、過去に何度も大きな地震に襲われてきました。その中から3つの地震を紹介します。
1944年 東南海地震
地震の概要
1944年12月7日午後1時36分、三重県南部の沖合から静岡県沖までを震源域とするマグニチュード7.9の地震が発生。三重県、愛知県、静岡県、それに長野県で震度6の激しい揺れを観測しましたほか、奈良県でも震度5~6程度の揺れがあったととみられています。東南海地震は南海トラフ巨大地震の1つで、ほかの地震と区別するために通常「昭和東南海地震」と呼ばれています。
被害
被害の中心は三重県、愛知県、静岡県でしたが、奈良県でも大きな被害が出ています。奈良県内だけで89棟の建物が全壊し、3人が亡くなりました。地震が発生したのが太平洋戦争の最中だったため、この地震の被害が日本国内で大きく報道されることはありませんでした。
1854年 伊賀上野地震
地震の概要
1854年7月19日午後2時ごろ、三重県伊賀市付近を震源とするマグニチュード7程度の地震が発生。奈良県や三重県、それに滋賀県で震度6程度の激しい揺れがあったとみられ、奈良県内ではところにより震度7相当の激しい揺れに襲われていた可能性もあります。安政東海地震などこの年は地震が相次ぎました。
被害
震源に近い奈良県や三重県などで被害が大きく、奈良県内では薬師寺の東塔が損傷するなど被害が相次ぎました。奈良県内だけでも700~800棟の建物が全壊し、280人が亡くなりました。
1707年 宝永地震
地震の概要
1707年10月28日、南海トラフの東海沖から四国沖までを震源域とするマグニチュード8.6の巨大地震が発生。静岡県から高知県にかけて震度7相当の非常に激しい揺れに襲われ、奈良県内でも震度以上の激しい揺れがあったとみられています。宝永地震は記録がある南海トラフ巨大地震の中で最大規模です。
被害
被害は太平洋沿岸に集中しましたが、内陸に位置する奈良県でも大きな被害が出ました。特に奈良盆地で被害が大きかったとみられ、奈良県内だけで3000戸以上が全壊し63人が犠牲になりました。奈良県内での最大の地震被害です。
まとめ
「奈良県には津波は来ないから大丈夫」と思っていませんか?日本に地震の来ない安全な場所はありません。奈良県内には中央構造線断層帯とよばれる国内最大規模の活断層もあります。家具を固定したり、食料や水を備蓄するなど日ごろから地震に備えましょう。