阪神淡路大震災 渋滞が奪った477人の命「あと30分早ければ…」

阪神淡路大震災では地震発生から5時間後の段階でも犠牲者のうち477人が生きていました。なぜこの人たちを助けることができなかったのでしょうか?

 

その原因は私たちにも決して他人事ではない不必要なマイカーの使用による交通渋滞だったのです。中にはあと救助隊到着に30分前まで生きていた人もいました。

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阪神淡路大震災

阪神淡路大震災とは1995年1月7日午前5時46分に本州と淡路島の間を震源とする兵庫県南部地震(M7.2)によって引き起こされた災害を指します。

兵庫県南部地震

震度

気象庁|阪神・淡路大震災

 

震源域

淡路島北部から神戸にかけて

観測された震度

震度6:神戸市中央区・洲本市

現地調査による震度

 

震度7:神戸市東灘区・灘区・中央区・兵庫区・長田区・須磨区、西宮市・芦屋市・宝塚市・津名町・北淡町・一宮町

震度6:神戸市垂水区・北区・西区、尼崎市、明石市、伊丹市、川西市、淡路町、東浦町、五色町

 被害

主な被害

断層が真下を通っていた神戸市や淡路島などで甚大な被害が出ました。近代の大都市が震度7の揺れに襲われたのはこれが初めてで、兵庫県内だけで10万棟以上の建物が全壊する大惨事となりました。また高速道路が横倒しになったほか、鉄道の橋脚が各地で破損しました。しかし幸いなことに新幹線は始発前だったため大きな被害は免れました。さらに、各地で200件を超える火災が発生しました。当時は風が弱かったため延焼は最小限に抑えられましたが、それでも7,000棟近い建物が焼失しました。

 死者・行方不明者

兵庫県を中心に相次いだ建物の倒壊と火災によって6,431人が死亡したほか、3人が行方不明のままとなりました。 

渋滞が奪った477人の命

犠牲者6,434人のうち、即死だったのはわずか8%、さらに地震発生から5時間がたった午前10時46分の時点で、なおも477人が生きて、助けを待っていました。

 

なぜこの477人は助からなかったのでしょうか?

 

その原因は交通渋滞です。

三重県や愛知県から向かった救助隊は通常3時間ほどでつく神戸に、地震発生から5時間後でも、まだたどり着けていませんでした。

 

なぜこのような大渋滞が発生したのでしょうか?その理由を見ていくと、現在でも同じような渋滞が起こりうる可能性があることがわかりました。

マイカーの使用

渋滞を悪化させた要因の一つになっているのがマイカーの使用です。当時のアンケートによると、この日のマイカーの使用目的で最も多かったのが「安否確認」で20%、ついで「出勤」が16%、なかには「情報把握」8%というものもありました。この日、神戸では大規模な停電が発生していたため、信号が作動せず、渋滞をさらに悪化して救助隊の到着を遅らせたと考えられています。

道路にできた段差

もう一つの要因は道路にできた数十cmほどの段差です。兵庫県西宮市の夙川橋(しゅくがわばし)では橋が浮き上がり30cmほどの段差ができていました。この段差を通るために、マイカーの渋滞の列が、時速数kmにまで速度を落とし進んでいたため、最大18kmにも達する大規模な渋滞となりました。

繰り返される“大渋滞”

実は地震後の大渋滞、2011年の東日本大震災や2018年の大阪北部地震でも改善されることなく、繰り返されていました。東日本大震災では、通常走行していないはずの車が夕方から一斉に動き出したため、大渋滞となりました。

 

ここで注目すべきポイントは通行量が3割増えただけで渋滞が28倍にもなったという点です。

 

大阪北部地震でも、出勤する車や家族を迎えに行く車が増えたために地震発生後1時間で大渋滞となり、医療従事者が病院にたどり着けない救急車の到着まで通常の6倍など数多くの問題が発生しました。

まとめ

 災害時、「自分だけなら大丈夫」と思って車を使うと、一気に渋滞が悪化し、助かる命を救えなくしてしまう可能性もあります。これは、一人一人が“わが事”として考えなければいけない問題です。災害時に車を使わなくてもいいように、家族で日ごろから地震発生時の対応を考えておきましょう。

 

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